まるちゃんと四国の旅。市の中心にそびえる城山に築かれた、徳島藩蜂須賀氏の居城である徳島城をワンコとぶらり歴史探索を楽しみます。
訪れた日:霜秋(11月下旬)
1.アート&ランチの後は徳島城へ!
前回は、きたなだ海の駅のスプレーアートを見て、道の駅くるくるなるで食を満喫。いよいよラストは徳島城へと向かいます。


引田港と徳島県東部を巡るけど、どこも近くて1日あれば十分楽しめる

わが家はのんびり旅はせず、ギュッと予定を詰め込む貧乏性タイプでつ
2.徳島城に到着
道の駅から車で国道11号を南下、10kmほどの道のりを走り徳島城に到着しました。


まずは百名城スタンプとパンフレットをもらいに博物館へと向かいます

私たちは道路沿いを歩きましたが、バラ園と城山の海蝕痕が見られる、駐車場から続く遊歩道からのルートがオススメ。
数寄屋橋


まっママー、ここ鬼門らしいでつ…

ありゃ。別名が不明門…凶事以外は門を開けることはなかったそうです

城山の貝塚
城山の麓にある洞窟遺跡。貝塚は縄文時代のもので、土器や人骨も見つかっています


失われたアークや神社など、阿波は不思議なモノがいっぱいでつから…

おっ都市伝説!たしかに邪馬台国があった説など、いろいろと謎が多い

ワンコと徳島城
パンフレットと百名城スタンプをゲットするため、先に徳島城博物館へと向かいます

そういや、まるは歩いて大丈夫?

うん!徳島城は公園にもなっていて、広い城内はワンコお散歩OK

博物館は犬連れ不可。基本的に公園なので犬連れOKですが、歴史ある城郭なので糞尿の処理を忘れず、マナーを守って楽しみましょう

標高61mの城山に築かれている徳島城。めっちゃ広くて全体像が把握しにくいので、最初に博物館でパンフレットをゲットして、地図を片手に散策することをオススメします。

なんと博物館の隣りにある旧徳島城表御殿庭園はワンコ同伴OK!御殿に造られた庭園で、ダイナミックな石使いが魅力です。
鷲の門
博物館から南に歩いて、まずは徳島城の正門となる、鷲の門から散策をスタート!


廃城後も門の建物は残っていたんだけど、徳島大空襲によって焼失…。
市制100周年を記念して平成元年に復元。1945年の空襲では徳島市の6割が焼失し、多くの人々の命が奪われました。なお門の近くには悲惨さを伝えた、井上羽城の碑もあります。

目を背けてはいけない史実でつ。

下乗橋
堀にかかる橋から先へは、駕籠などから降りて渡ったことから名付けられた下乗橋。


この先に殿様が住む御殿があるので、石垣と枡形虎口で鉄壁の守り!

あーそうですか。城好きウンチクが始まりまちたのでスルーしまちょー
太鼓櫓跡と駆逐艦追風記念マスト
橋を渡って左手に太鼓櫓跡があります。


太鼓櫓跡に登って上から見ると、大手門や付近の構造がよく分かります


この眺めは城好きにはたまりません

1932年(昭和7年)に徳島県海軍班が創建。その後は台風で倒壊してしまいましたが、昭和43年に再建されました。
珍しい舌石
徳島城には全国的にとても珍しい、舌石という出っ張りが石垣に残されています。

当時は塀が建てられていて、敵が侵入してきた際には正面のみならず、側面からも鉄砲や矢で攻撃できるように、屏風折塀という飛び出した堀がありました。舌石はそれを支えるための支柱石として、今も石垣に残っています。

舌石は目立たない場所にあるので、パンフをゲットしていて正解でした
蜂須賀家政公銅像

以前は甲冑姿の蜂須賀正勝公(家祖で家政の父)の銅像がありましたが、戦時中に供出。現在は秀吉から阿波国を与えられて(父の正勝が辞退したため)大名となった、徳島藩祖である蜂須賀家政公の銅像が立てられています。

8620型蒸気機関車
家政公の銅像近くには実際に徳島を走っていた、蒸気機関車が展示されています。


46年間もの長い間、たくさんの人々と思い出を運んできた貴重な機関車

3.本丸のある城山へ
いよいよ城郭最後の砦、本丸跡を目指すため、標高約61mの城山へと登ります。


よぉし、本丸でつね!それでは階段が多いので、抱っこでヨロチクでつ

だははは、仕方ないなぁ。まぁ結構な森なので、抱っこで行きましょう
西三の丸門跡

案内板がなく不明ですが、古城図で見ると西三の丸門があった場所だと思います


なおココまで200段ほどの階段を登るので、とても良い運動になります
帳櫓跡と西二の丸
三の丸から二の丸方向へ登ると、帳櫓跡(とばりやぐら)の基礎が見えてきます。


当時は大きな櫓が建っていた…

と想像して楽しむのが城マニア😁
神秘的な阿波青石


おっ!たしかに青い。まるちゃん、とても良い所に気づきましたねー
徳島城の一番の見どころと言っても過言ではない、青い石垣群。神秘的に青く輝くその理由は“阿波青石”として知られる、緑泥片岩という凝灰岩が多く使われているからだそうです。


古来には古墳の石室、今は玉砂利や敷石などにも使われている阿波青石

ちょっと神秘的。お城としての重みというか、深みを感じる石垣でつね
弓櫓跡

西二の丸から本丸との間にある弓櫓跡。城郭内では一番大きな櫓台で、築城初期には天守台だったのではないかと推測されています。


山城の山頂なので高いでつ…

角の立派な天端石も見どころですが、危ないので気をつけてください
4.本丸と天守へ
いよいよ城郭の最重要区画である本丸へ。


わぁー、めっちゃ広くて開放的!でも、お城の天守台がありませんね…

徳島城の天守は別の場所にあって、ここには櫓や番所があったみたい
山城の中で最も面積が広い本丸。いざ戦になれば最重要区画となるため、管理人が詰める御留守番所だけでなく、馬具櫓や武具櫓、火縄櫓などが設けられ武器を保管していたそう。また藩主の部屋がある御座敷も建てられ、緊急時に脱出するための埋門が備え付けられていました。

豊臣政権の時代に築城された際は、この本丸に天守(弓櫓が天守台?)がありましたが、徳川幕府となった元和年間には取り壊されて、代わりに東二の丸に御三階櫓が築かれました。

東軍に味方し藩主となった家政の子、至鎮。しかし蜂須賀家は三代にわたり豊臣の家臣でもあり、城は秀吉の命で造られたことも相まって、天守を壊したのは幕府に逆らわないという意思を表すためなのか…。はたまた徳川家が意地悪をしたのかは分かりませんが、いろいろと想像できるのも、これもまたロマンですね。

あーそうでつか。ママが歴史好きだということだけは伝わりまちた😁
清玄坊神社

蜂須賀公が阿波へと入国する際、築城のために付近の寺社に移転を命じました。しかし清和天皇の末裔であった清玄坊は、頑なに移転を拒みます。そこで別の場所を与えると伝え、清玄坊を城下へと連れ出して弓で謀殺…。その途端、蜂須賀家には不幸な出来事が続出。これは清玄坊の祟りに違いないと、その行いを悔いて、お社を建てて供養することを誓ったそうです。

末代まで供養することを誓うと、その不幸はピタッと収まったそうです

わが家も旅の感謝を伝えるため、清玄坊神社に手を合わせてきまちた
本丸東の石垣
本丸を散策した後、天守跡へ向かいます。

天守があった東二の丸へ向かう途中の石垣は、城内で最も古い天正期のものと伝わります。


先にある野面積みの石垣に驚く。写真は載せないので実際に見てみて!

もったいぶってるママでつが、石垣を見てホントに感動ちていまちた
東二の丸跡と天守跡
本丸から一段下がった場所、東二の丸の奥に天守跡があります。

本丸の天守がなくなった後、東二の丸に代用の御三階櫓が建てられました。天守とは言うものの、天守台のない3重3階建ての建物で、明治には廃城令によって取り壊しとなりました


小さな天守跡…。やはり、徳川幕府に遠慮した感がプンプンとしますね

5.遊歩道と竜王さんのクス
そろそろ下城。ラストは城の大きさを感じるため、城郭の遊歩道を右回りで歩きます


東二の丸跡から下る坂にも、たくさんの石垣が残っていて楽しめます!

すべてを知る竜王さんのクス


並木道沿いの奥に、何やらパワーを感じるスポットを見つけたそうです

通称『竜王さんのクス』と呼ばれる、樹齢600年もの楠の古木。室戸台風によって倒壊したそうですが、脅威の生命力で生き続け、今もこの地を見守る楠として大切にされています。

築城は1585年。なので天守も当時の人々のことも楠はずっと見てた!

うんうん。まさに城の生き証人で、すべてを知っている竜王さんのクス
城内の遊歩道を歩いていると、殉国された人々を忘れないための「父の像」や、鎮魂と書かれた戦没者のための慰霊碑もありました。すべてを知っている竜王さんのクスと共に必見だと思います。

6.まとめ

徳島城の旅をご紹介しました。お城には建物は残っていませんが、青い神秘的な石垣たちや城山の景色、竜王さんのクスなど見どころもたくさん。ぜひ皆さんも“徳島”の名がつく由来となった徳島藩の居城へ、ワンちゃんと一緒にお出かけしてみてはいかがでしょうか♪