まるちゃんと千葉県へ。江戸の東を守る佐倉城は地形を巧みに利用した名城。佐倉連隊の駐屯地にもなったことから多くの戦跡も必見です。
訪れた日:晩秋(11月初旬)
1.佐倉城跡公園の駐車場


駐車場がいくつかありますが、自由広場駐車場を選択。これ大正解!

ちょうど紅葉シーズンだったので、イチョウ並木がとてもキレイでちた

城址は公園になっていて、無料の駐車場がたくさん。中でも自由広場の駐車場は、近くに佐倉城址公園センターがあり、登城前に情報をチェックできるのでオススメ(城郭が広く見どころも多いのでパンフレットをゲットしておくと便利)。
私が訪れた時は砂利の駐車場でしたが、現在は整備されて舗装路になったそうです。
駐車場は無料
スタンプは公園センターにあり
桜や菖蒲の季節は満車になりがち
手前に大手門跡の駐車場もあり
場所 自由広場駐車場 地図 Map
2.佐倉城跡へ
自由広場駐車場から公園へ歩くと、すぐに巨大な空堀が目の前に現れます。


ママはパンフレットを見ながら、どこからお城を攻略するかを考え中…

廃城令で建物はなくなったとはいえ、土塁や堀など見どころが多そう
戦国時代、本佐倉城の城主である千葉氏の命によって築城がスタートするも当主の暗殺などにより中断。代が変わって再開するものの、また暗殺で頓挫し城は未完成となる。その後、幕府を開いた徳川家康の命により、土井利勝が築城し完成すると佐倉藩の藩庁が置かれました。

三の門跡


あのー。ママの背中が邪魔で説明が、ぜんぜん見えないんでつが…

あー、ゴメンゴメン。

要所要所に説明が書かれた案内板があり、現存していた時の写真も載っていて、とても分かりやすかったです。
開国の父 堀田正睦公とハリス像
幕府要職の偉い方が城主になることが多かった佐倉城。その中でも忘れてはならない存在なのが、五代目藩主の堀田正睦公。


あんまり聞いたことないお方かも…

たしかに。教科書にも詳しく出てこなかった気がする。実は私もココに来るまで知らなかったです。
まず堀田正睦公は佐倉藩主としても多大な功績を残しています。藩の財政を見直し、藩校の成徳書院や佐倉順天堂などを開設。蘭学をはじめ、兵学や医学などを学べる環境を作り“南関東の学都”とまで称されるようになります。

今で言う大学のような教育機関を設立したんでつね。たしかにスゴイ!

やっぱ教育は大切なんだねー。でも正睦公の偉業はそれだけじゃない。


もしかちて、すぐ隣りにあったハリスさんの像が関係ありまつか?

おお!察しが良いね、まるちゃん!
黒船来航に幕府が揺れていた時代。堀田正睦は当時としては珍しい「開国派」であり、幕末期の老中として、アメリカ公使であるハリスと日米修好通商条約を巡り交渉を始めます。

あれ?日米修好通商条約って、たしか井伊直弼が締結したような…

よくご存知!徳川斉昭などの反発もあり、正睦公は失脚してしまいます
最後は蟄居(自宅での謹慎)となりましたが、開国論者だった正睦公がいたからこそ、日本が世界へと扉を開く、ひとつのきっかけになったと私は思います。
二の門から本丸跡へ

先ほどの堀田正睦公像の場所から二の門がある方向へと進み、本丸跡に向かいます。


わぁ走りたくなるほど開放的!あっ今更ですが、ここ犬連れOKなの?

そういや忘れてた。うん!城趾だけど公園なので、ワンコ散策OKだよ
基本的に公園なので、犬とのお散歩もOK。ただし!リード着用や糞尿の処理など、マナーを守って楽しみましょう。
天守跡


本丸跡の奥に小高い場所があり、ココを先に進むと天守跡があるみたい


おや?天守跡の石碑があるだけで、とくに遺構は残っていないでつね
曲輪に比べると建物や遺構は、ほぼ残っていない佐倉城。その理由は後ほど…
銅櫓跡


何もありませんが、案内板の写真が当時を想像できてグッドです!

清水出丸跡と帯曲輪
本丸跡から西側のエリアには、清水出丸や帯曲輪が広がっています。


うわっ、出丸なのにめっちゃ広い!


さすが江戸の東を守るための城って感じ。しっかりと残っていてスゴイ
唯一現存する建物 薬医門


曲輪を探索していたら、堀の向こう側に門らしき建物を発見しました!


簡易的な門とはいえ歴史を感じまつ

酒造を生業とする土井家へ移築。表門として使われた後、堀田家の菩提寺で保管されていたそうです。建っていた場所は不明ですが、城内で現存する唯一の建築物であり、趣のあるその姿を後世に伝えています。
本丸跡や帯曲輪、そして薬医門を見たら、へび坂を通り博物館の方へ戻ります。

なお、曲輪周辺のへび坂は自然溢れる道なので、犬を歩かせる時は気をつけて。
馬出し空濠


空堀は巨大でスゴい迫力。城内の遺構の中で、もっとも見どころかも


とても広くて気持ち良いから、まるも思わず走り回ってしまいまちた
見るものを圧倒する巨大な馬出し空濠。石垣がないお城とはいえ、このような強固な防御力を持つのは、佐倉城が将軍の避難場所として定められていたからだそうです。よって幕府にとって佐倉城は重要な城であり、老中などの要職が城主を務めることが多いのも頷けます。
3.佐倉連隊 駐屯地
佐倉城は城郭としての見どころに加え、廃城後に陸軍の駐屯地となったことにより、さまざまな戦跡の遺構が残っています。


さっき言ってたお城の遺構が残っていないのは、これが理由なんでつね

廃城も理由の一つだけど、駐屯地として使いやすく整備されたからね
なお、遺構は城内に点在しており順不同でご紹介。訪れる際はマップを確認すると、効率良く回れるかなと思います。
訓練用の12階段


どうやらこの階段、高い所から飛び降りるための訓練をしていたみたい

スゴっ!3mはありそうでつ

兵営の便所跡

トイレの跡もしっかりと残っています。なお、多い時で4000人の兵士たちが、この場所で日々訓練していたそうです。

兵士が文字を彫り込んだモッコク
2本の木が夫婦モッコクとして天然記念物に指定されていましたが、1本は腐朽が進んでしまったため伐採されたそうです。


兵隊さんが彫った文字はどこでつ?

ちょうど裏側にあたる場所に…


昭和18年(1943年)に彫られたとすると、終戦(1945年)の2年前なので、戦時中の真っ只中ということになります。そのため当時兵士となった人たちが生きた証ともいえる、とても貴重な木になっていると私は思いました。

なお佐倉連隊の遺構を見る上で、忘れてはならない事実をお伝えします
陸軍歩兵連隊の兵営所(兵隊の訓練施設)として70年の歴史を持つ佐倉城。歩兵第2連隊が置かれ、西南戦争や日清日露戦争に出兵。その後、千葉から招集された郷土部隊の歩兵第57連隊が置かれますが、激戦となったグアム島やレイテ島で戦いで、部隊の多くは壮絶な最期を遂げることとなります(出兵となった兵士2541名の内、生存者はたったの114名)。

佐倉連隊に所属していた、多くの兵士たちが帰ってれなかったんでつね

うん…。なので数々の遺構が残る佐倉城は、意義のある戦跡であり、後世に伝えるべき大切な場所だと思う

佐倉連隊の歴史を詳しく知りたい方は、芝生広場近くの『国立歴史民俗博物館』へ。また市役所の横には、戦没者をお祀りしている『忠霊塔』などもあります。
4.まとめ

ワンコとお散歩も楽しめる、千葉県にある佐倉城をご紹介しました。堅牢な曲輪と堀田正睦公、さらには佐倉連隊の遺構と、歴史の深みを感じる素晴らしい城郭でした。ぜひ皆さんも見どころたっぷりな佐倉城跡公園へ、ワンちゃんと一緒にお出かけしてみてはいかがでしょうか♪



