長野県にある姨捨サービスエリアでランチを食べて、“桜が咲いていない”晩秋の高遠城址公園を散策する犬連れ旅。
訪れた日:晩秋(10月中旬)
1.姨捨SAでランチタイム
東北旅行の帰り(我が家は東海地方)、時間があったので高遠城へ立ち寄ることに。途中、姥捨SAでランチタイム休暇。
姥捨SA(上り)は長野自動車道にあり、善光寺平が見渡せる景観の良いサービスエリアとして人気です。
見て見て!天気も良いし高台にあるから、すごく眺めが最高だねー
それよりも、お腹が空いたのでランチタイム優先でお願いちまつ…
芝生エリアは広々としていて、わんこと一緒にお散歩が楽しめます
それよりも、お腹が空いたのでランチタイム優先でお願いちまつ…
まるちゃんは散歩も拒否して駄々をこねるので、待望のランチタイム。広場側にワンちゃんOKのテラス席があり、近くにフードコートがあります。
注文して自分でテラス席に持ってくるセルフ方式。それにしても美味しそー!
うわー、ラーメンにカレーに唐揚げ!最強の組み合わせでつやん!
間違いない!高級フレンチより、やっぱコレが王道の庶民な私達😁
どちらも凄く美味しかったです!テラス席も最高でした。なお山賊焼き定食は数量限定らしいのでお早めに。
2.桜の名所 高遠城址公園
姨捨SAから高遠城までは100kmほどの道のり。高速を走り1時間半程度で到着。
シーズンオフの平日なので、広い駐車場はほぼ貸切状態でした
桜の季節は、たどり着くのも大変なほど混雑しているそうでつ
高遠城址へ
元は高遠氏の居城だったお城。甲斐の信玄によって滅ぼされ、武田氏の重要な軍事拠点となります。そして武田勝頼の代になり、織田軍との戦いで激戦地となり落城します。
信忠率いる織田軍は5万。守るは3千。兵力差は歴然でした。
大軍に対して一歩も退かずに戦い、討死した仁科盛信が有名でつ
高遠閣
案内図の近くに国の登録有形文化財でもある、高遠閣という休憩所があります。
長野県出身の伊藤文四郎が設計し、1936年(昭和11年)に建てられました。歴史的な城趾ということもあり、近代建築を取り入れつつ和風に仕上げた外観で、城跡公園のシンボル的存在となっています。
桜の季節しか開いていないようですが、外から見るだけでも大満足
桜雲橋と問屋門
本丸へと向かう途中、桜の季節にはフォトスポットとして人気の橋があります。
あのーカメラマンさん、橋がちょっとしか写ってないでつ…
どうやら橋より「すごい」と感動していた下の空堀を見ていたそう
本丸と太鼓櫓
きっと桜の季節はキレイだろうなと思いながら散策していると…
ちょっとネムネムしてきまちたが、太鼓櫓を見つけまちたよ!
太鼓櫓は時を知らせるための太鼓を収めた建築物。江戸時代から続いていましたが、廃城となったため、現在あるものは明治に作られたものだそう。
南曲輪と保科正之公
江戸時代の高遠藩主、保科正之公が幼少の頃に居住していた場所だそうです。
あれ?保科氏は会津藩主だったような。鶴ヶ城で見た気がちまつ
よくご存知で。高遠藩から山形藩、そして会津藩主となりました
徳川の血を引く保科正之(父は秀忠、母は侍女のお静で保科家の養子になった)は名君として知られていて、高遠藩から移封となった際にも、領民たちが後をついていくほど慕われていた藩主だったたそうです。人望に厚く善政を行い、徳川家を支え、名言を残し、後に続く会津藩の礎となるほど優れた人物でした。
白兎橋から法憧院曲輪跡へ
江戸時代に酒造業を営んでいた曾孫さんが寄付した橋を渡ります
ここの曲輪には、かつて宝幢院というお寺があったそうでつ
曲輪から南に7分ほど歩くと歴史博物館がありますが、後で百名城スタンプを押しに車で行くので戻ります。
大手門へ
城跡公園を散策したら高遠閣をこえて、三の丸側の道路へと進みます。
道路沿いには江戸末期に藩校として建てられた進徳館がありました
桜のシーズンには食べ歩きが楽しめそうなお店もありまちた
明治に城郭が取り壊される際に払い下げとなり、高遠高等学校の正門になった後、この場所に移築されたそうです。なお建物は移築の際に切り詰められており、少しコンパクトになっていますが大手門と伝わっています。
百名城スタンプは歴史博物館へ。
3.まとめ
武田と織田が激戦を繰り広げたことで知られる高遠城をご紹介しました。桜が咲き誇る春の城郭も魅力的ですが、歴史マニアの私達はシーズンオフでも十分楽しめる旅となりました。ぜひ皆さまもさまざまな歴史の舞台となった高遠へ、ワンちゃんと一緒にお出かけしてみてはいかがでしょうか♪